①毘沙門岩窟  藤里字石名田

 愛宕山の中腹にある。坂上田村麻呂に討たれた人首丸の伝説があるが先住民の住居ともいわれる。

 


②藤里の珪花木  藤里字石名田

 愛宕山自然公園内にある。昭和38年岩手県指定天然記念物。1500万年前のセコイヤメスギ。

 


③花見石  永倉山

 倉迫城主江刺三河が花見の時の座石という。往時この付近は山ツツジで覆われていた。

 


④気仙街道巡見使の道  藤里字境田、平

 奥州街道の脇街道として伊達藩で整備された道で、水沢宿から岩谷堂宿を経て伊手宿から気仙郡境種山までを称する。

 この道は人の往還をはじめ、内陸と海産物品の交流の道であるとともに幕府の特命を受けた代官の地方巡見の道でもあった。巡見の記録は寛永10年(1633)年以来8回ほどの文書が残されている。一行の人数は約120~130名の大行列といわれている。

 本地区内には旧道跡として境田、野、二日市、上長沢等にわずかに残っている。道程から本地区では昼食が催された。場所は二日市辺りかと思われる。

 


⑤神山斎場  藤里字迎井沢

 藤里地区のほぼ中央に位置するこの地を「神山」と命名し、明治以来、戦役で斃れた地区出身者の諸英霊を慰霊する地と定め、神聖で感謝の場とした。

 戦前(昭和20年以前)は、毎年5月5日を招魂祭と定め、地区を挙げての村祭の日であった。平成5年には農村公園として整備された。

 斎場内には

  ・忠魂碑=地区出身戦没者119柱の慰霊碑

  ・軍人墓地・和合衆の碑=昭和12年頃までは戦没者の墓地として整備されたが、その後、墓の建立が困難となり、戦後昭和27年、高橋梵仙氏(岩谷堂出身・元東洋大学

   文学部長)の揮毫を得て「和合衆の碑」を建立した。

  ・偉大なる先人慰霊塔=藤里史談会が中心となり、古代から近代に至る間、他地域に類のない文化・文化財等を守り育ててきた先人たちに感謝する標として平成2年に建立。

   ほかに「五訓の森」の石碑あり。